筒井道隆の父はキックボクサーで俳優!ブルース・リーを日本に紹介した男?

筒井道隆の父はキックボクサーで俳優!ブルース・リーを日本に紹介した男?

俳優・筒井道隆(つついみちたか)さんは、1971年3月31日生まれの54歳。

2025年4月期ドラマ「あなたを奪ったその日から」での出演には「変わってないよね」「掛居く~ん!」「かっこいいな、おい」などの声でネットを沸かせました。

筒井道隆さんは、石田ひかりさん主演のドラマ「あすなろ白書」への出演で話題になり、「君といた夏」で初主演、当時はアイドル的に人気がありました。

プライベートはあまり語らないイメージでしたが、最近は父親についてインタビューで話していました。

その父親とは、キックボクシングの東洋ミドル級チャンピオンで俳優の風間健(かざまけん)さん。

といってもあまりピンとこない人も多いと思いますが、あの「ブルースリー」を日本に紹介したのが風間健さんといわれているようなのです。

風間健さん、どんな人なのか興味がわいてきますよね。

そんな父親のもとで育った筒井道隆さんは、どのような幼少期を過ごし俳優の道にすすんだのでしょうか。

54歳という年齢を考えると、結婚しているのかどうかも気になります。

今回は、そんな筒井道隆さんと、父親・風間健さんについて調べてみましたので、ぜひ最後まで読み進めて下さいね。

  • 筒井道隆の父は元キックボクサーで俳優の風間健!ブルース・リーを日本で流行らせた男?
  • 筒井道隆の子供時代の父との関係
  • 筒井道隆の母と妹について
  • 筒井道隆の現在!妻と子供はいるの?
目次

筒井道隆の父は元キックボクサーで俳優の風間健!

引用:あなたを奪ったその日から 公式X https://twitter.com/anauba_ktv 現在54歳

筒井道隆さんの父親とは、キックボクシングの東洋ミドル級チャンピオンで俳優の風間健(かざまけん)さん。

風間健さんの職業には、キックボクサー・俳優とありますが、武道教育研究家、気錬・武心道道主などの肩書も持ちます。

引用:気練・武心道-https://www.budo.co.jp/

少林寺拳法の創始者である宗道臣(そうどうしん)に師事し、四国総本山少林寺で僧としての修行も積み道隆(どうりゅう)の層名を授かっています。

本名は筒井稔(つついみのる)さん。

1961年、総合空手選手権大会で優勝1969年にはキックボクシング東洋級チャンピオンに輝いています。

ちょっと似てる??筒井さんがお父さんに似てきたのかな?

1970年の格闘ブームと風間健!打倒・沢村忠

引用:Numbew Web-https://number.bunshun.jp/articles/-/851822

1970年代、キックボクシングのブームの中心にいたのは、不動のエース・沢村忠さんです。

沢村忠といえば「真空飛び膝蹴り」。沢村忠さんの半生を描いた「キックの鬼」は漫画もアニメも大人気でした。

その沢村忠さんの対抗馬として現れ、KOの山を築いたのが、風間健さんです。

韓国に遠征し、テコンドーでミドル級チャンピオン金選手に2ラウンド2KO勝ち、タイでの試合で日本人初のキックによるKO勝ち。

帰国後は連続KO記録を作ったそうです。

ですが沢村さんはTBS、風間さんは日テレというテレビ局との契約の縛りがあり、戦う機会はなかったといいます。

そんな頃、千葉真一さんから映画の世界に誘われました。

かつて風間さんは、千葉真一さんの住むマンションに居候していたことがあったのです。

「少林寺拳法の頃の知り合いが千葉氏の高校の後輩、その縁で曙橋のマンションで共同生活を送りました。

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338422/4

引退後は千葉真一のJACにて活躍

キックボクシングを引退した風間さんは、千葉真一さんの紹介で数々の映画に出たといいます。

千葉真一さん主演の「やくざ刑事シリーズ」や「殺人拳シリーズ」。

ところが2人の間に亀裂が入ってしまいます。

「彼の紹介で多くの映画に出演したんだけど、ほとんどノーギャラ。金銭的にルーズで付いていけなくなった。それを機に俳優業とは縁を切ろうと考えていたんです」

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338422/4

そんな時、本物の技術を持つ風間健さんのもとに、映画「ドラゴンを消せ」からのオファーが舞い込みました。

その映画のロケ地香港で、ブルースリーと出会うこととなります。

筒井道隆の父はブルース・リーを日本で流行らせた男

引用:MOVIE WALKER-https://press.moviewalker.jp/news/article/224409/

ブルースリーのことは多くの人が知っていても、それを流行らせたのが筒井道隆さんの父親ということを知っている人は少ないのではないでしょうか。

1971年、ブルースリーは初主演映画「ドラゴン危機一髪」の大ヒットで、香港ではトップスターになっていました。

主演第2作の「ドラゴン怒りの鉄拳」では、主演と武術指導を担当、第3作「ドラゴンへの道」では、製作・監督・脚本・主演の四役を担っています。

そして1973年1月には、アメリカと香港の合作映画「燃えよドラゴン」の撮影が始まりました。

風間健とブルース・リーとの出会い

風間健さんとブルースリーとの出会いは1972年、アメリカ映画「ドラゴンを消せ」のロケで風間健さんが香港に滞在中のことでした。

映画のことが香港の新聞に掲載され、風間健さんが「武道・格闘技のチャンピオン」と紹介されたことで、ブルースリーが「会いたい」と言ってきたそうです。

「会ってみると、挨拶をするのに、「Just a moment」と言い、着ていたサファリルックをバッと脱ぎ、ランニング姿になって、筋肉モコモコってやり始めた(笑)」

引用:人民日報海外版日本月刊 -https://peoplemonthly.jp/n6849.html

その後「テコンドーは世界を制す」では、主役のジューン・リーの相手役として出演。

引用:YouTube 龍熱-https://www.youtube.com/watch?v=6QBdtljkWhw

ジューン・リーがブルースリーと旧知の仲で、香港ロケ中は3人で一緒に食事に行ったり、ブルースリーの自宅で話をしたこともあったといいます。

ですが残念なことにブルースリーは、1973年7月に32歳という若さで急逝してしまいます。

ワーナーに「燃えよドラゴン」を売り込み~大流行

「燃えよドラゴン」が公開前はされる前は、ブルースリーはまだ日本では知られていませんでした。

ブルースリーの急逝に、風間健さんは全身の力が抜けたといいます。

『日本人が知る前に亡くなるなんて……』

「それもあってワーナーの早川プロデューサーに『燃えよドラゴン』を売り込んだのは実は私なんです」

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338422/4

そして、ブルースリーが亡くなって5か月後の1973年12月22日、「燃えよドラゴン」が日本で公開され、空前のブルースリーブームが湧き起こることとなります。

格闘の際に発する「アチョー」という独特の叫び声も大流行しました。

日本より先の1973年8月19日、アメリカで「燃えよドラゴン」が公開されすでに大ヒット

ブルースリーがアクションスターとして知名度が上昇したことで、過去の香港映画・ドラゴンシリーズが世界中に配給されました。

大ヒットした「燃えよドラゴン」ですが、地元香港では、前作「ドラゴンへの道」の興行収入を大きく下回ったそうです。

これにより風間健さんのもとにも出演やオファーが舞い込み、「和製ブルースリー」として映画やドラマで活躍することになりました。

今では、武道教育研究家として「武士道の精神で、世界に羽ばたく人材を育成したい」と、「ジャパン・アフリカ経済文化交流協会(JAECA)」の会長に就任し国際交流にも取り組んでいます。

筒井道隆の子供時代の父との関係

父親がキックボクサーであり、俳優。

ただ俳優といっても、演技を見せるというより本物の技術を見せるアクション俳優で、風間健さんの心根に息づいているのは武道です。

筒井道隆さんの幼少期は、その父親によって、とても過酷なものだったようです。

怒られることはあっても、家の中で笑う会話とかは全然なかったと本人が語っていました。

いったい、どのようなものだったのでしょうか、、。

父からの英才教育?修行?

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338422/4

風間健さんは、1971年に生まれた長男・筒井道隆さんを、自らの後継者として徹底指導したようです。

「毎日厳しく指導です。一日も休みを与えなかった。子供の頃はあいつもつらかったと思う。でも、私の息子になるってことは、そういうことだもの」

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338422/4

これに対して筒井道隆さんがどのように感じていたかというと、「苦痛」だったそうです。

朝4時とか5時にたたき起こされ走らされ、そのあと筋トレ。

それから家の中と庭の掃除をしてから学校へ。

それでも運動は好きだったそうで、自転車に乗り結構な距離を走ったといいます。

小学校・中学校の時には、東京から名古屋のおばあちゃんの家までの約350㎞を、1日半かけてひとりで行ったりと、かなり大変なことですが本人は楽しかったといいます。

「とにかく父が厳しかったので、その苦痛から解放されるという、その喜びですごい楽しかったです。それぐらい家にいるのがつらかったんですよ」

引用:テレ朝POST-https://post.tv-asahi.co.jp/post-75807/

これはとても過酷な修行ですね!

道隆の名前の由来

引用:ウィキペディア-https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E9%9A%86%E5%AF%BA

父親の本名が筒井稔、僧名が道隆(どうりゅう)とくれば、筒井道隆さんの名前の由来も察しがつくとは思いますが、父親が自分の僧名を息子に与えました。

これは先述したように、父親・風間健さんが息子を自分の後継者にと考えていたからなのでしょう。

元々は、香川県の道隆寺に由来するそうです。

真言宗醍醐派大本山の寺院で、四国八十八箇所第七十七番札所とされ、国の重要文化財に指定されています。

筒井道隆の芸能界に入るきっかけも父の言葉から

引用:https://ameblo.jp/madame-haruyo/image-12868630024-15489670749.html

筒井道隆さんが芸能界に入ったきっかけについて、父親・風間健さんは、このように話しています。

息子は最初、高島屋に就職が決まっていました。でも、自分の子供が百貨店の店員というのが我慢ならなくて『自衛隊か芸能界に』と二者択一を迫ったら芸能界を選んだ。それから三十余年。息子の妥協しない精神は、間違いなく武道で培ったものでしょう。親としては黙って見守るしかありませんな(苦笑)」

引用:日刊ゲンダイ-https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino338422/4

父親から二者択一を迫られた筒井さんは、芸能事務所関係者から俳優にならないかと誘われていたこともあり俳優になることを選んだそうですが、かなり不満をいだいていたようです。

「ひどいですよね、高校生に向かってそれを選択肢にあげるというのが。親が強制的にどっちかを選べというのは、とても不親切だと僕は思います。でも、しょうがないですけどね、もう時間は戻らないですから」

引用:テレ朝POST-https://post.tv-asahi.co.jp/post-75807/

その後、映画「バタアシ金魚」で主役デビュー、映画・ドラマのオファーが次々と舞い込むように。

今、結果的に俳優として第一線で活躍できているのは、その時の選択が正しかったというわけではなく、「何事も死ぬ気でやらなければいけない」という父親の思想で育てられたからだといいます。

「だって死を覚悟してやっているんですもん。それは何をやったってうまくいきますよ」

引用:テレ朝POST-https://post.tv-asahi.co.jp/post-75807/

となると、やはり妥協しない精神は父親の修行のおかげ?

筒井道隆の母と妹について

筒井道隆さんの両親は、時期などははっきりとわかりませんでしたが、離婚しています。

父親との生活についてはいろいろ話していますが、母親の話は一切でてこないので、幼少の頃に離婚してしまったのか話したくないのか、、。

ただ、妹については話したことがあるようです。

年少の頃に妹とジブリ映画「火垂るの墓」を観て、号泣したエピソードを語っています。

筒井道隆の現在!妻と子供はいるの?

引用:引用:あなたを奪ったその日から 公式X https://twitter.com/anauba_ktv

筒井道隆さんは、俳優としてすぐに人気がでましたが苦悩したこともあったようです。

若い頃は「自分ごときが仕事を選べる立場じゃない」と、周りからの要望を受け入れていたそうですが、30代半ば頃から自分の意見も告げるようになったといいます。

デビューから35年、今でも第一線で活躍中です。

そして筒井道隆さんは、ロードレーサーとしての一面も持っています。

引用:シクロワイアード https://www.cyclowired.jp/media/214375

小さい頃から自転車好きだったこともあり、自転車・バイク関連の雑誌インタビュー・表紙を飾ることも多く、いろいろな大会に出場しています。

そして気になるのが、結婚しているのかどうかです。

今まで熱愛報道もなく結婚したという報道もなかったので、「独身なのでは?」と思われていましたが、、、どうやら違ったようです。

筒井道隆の現在!レンディ俳優から渋さが光る演技派俳優へ

引用:YouTube-https://www.youtube.com/watch?v=IHUfa5VQayY

筒井道隆さんは、ただ一生懸命やったことでトレンディー俳優としてブレイクしたものの、自分の進むべき方向がわからず葛藤していた時期もあったそうです。

「あすなろ白書」では、キムタクより人気だったとか???

1990年代半ばからは舞台にも出演するようになり、三谷幸喜さんとの出会いやその作品の常連俳優たちの演技に刺激を受けて、人を笑わせる芝居の楽しさを知ったといいます。

そして2020年の堺雅人さん主演「半沢直樹」では、適役を憎々しく演じ顔芸も披露し、筒井さんのイメチェンぶりがSNS上で反響を呼びました。

「半沢直樹」は本当に面白かったですし、筒井さん演じた乃原正太は
本当にイヤな悪徳弁護士でした。

さらに4月21日(月)夜10時より、北川景子さん主演の新ドラマ「あなたを奪ったその日から」が始まりました。

引用:カンカン-https://www.ktv.jp/anauba/

筒井道隆さんは、皆川紘海(北川景子)の娘が亡くなる原因となった惣菜店『YUKIデリ』を、社長の結城旭(大森南朋)と一緒に立ち上げた社員の役ですが、皆川紘海(北川景子)の結城旭への復讐が始まるようです。

まだ始まったばかりですが、どう展開していくのか、筒井道隆さんがどう関わっていくのか楽しみです。

筒井道隆の妻と2人の子供

筒井道隆さんは、2024年8月27日のフジテレビ「ぽかぽか」に出演した際、子どもが2人いると話したそうです。

引用:X-https://x.com/x_jp

いつのまにか結婚されていたようですね。

奥様についての記事は見つかりませんでした。

まとめ|筒井道隆の父はキックボクサーで俳優!ブルース・リーを日本に紹介した男?

今回のまとめです。

  • 筒井道隆の父は元キックボクサーで俳優の風間健。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」をワーナーに紹介した男。
  • 筒井道隆の子供時代は、父親の後継者になるべく修行の毎日で苦痛だった。
  • 筒井道隆の親は離婚していて母親についての情報はなく、妹が1人いる。
  • 筒井道隆は現在も俳優として活躍中!そして子供が2人。

いかがでしたでしょうか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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