劇団ひとりの両親はパイロットとCAで大叔父や先祖も凄い!妻の祖父も大親分?

劇団ひとりの両親はパイロットとCAで大叔父や先祖も凄い!妻の祖父も大親分?

劇団ひとりさんは、北野武さんが監督、脚本、主演を務めるAmazonオリジナル映画「Broken Rage」に”謎の司会者”役で出演するほか、タクシーで流れるCM『ecforce』にも出演しています。

俳優としては数々のドラマや映画に出演し、作家としても2006年の小説家デビュー作「陰日向に咲く」がベストセラーになりました。

『青天の霹靂』や『べしゃり暮らし』、『浅草キッド』などで、監督や演出・脚本までもしている劇団ひとりさん。

そんな劇団ひとりさんのご両親はどんな人なのでしょうか。

また、劇団ひとりさんのルーツは高知にあるようですが、大叔父や先祖も凄い人坂本龍馬とも関係がある人も

2009年に結婚した大沢あかねさんの祖父も親分だそうですが、妻との関係や子育てについても紹介しますので、ぜひ最後まで読み進めてください!

この記事でわかること
  • 劇団ひとりの両親はパイロットとCAで、ラスベガスに出生の秘密がある?
  • 劇団ひとりは幼少期にアラスカに住んでいたけど、英語は日常会話レベル?
  • 劇団ひとりはどんな子育てをしてる?
目次

劇団ひとりの両親はパイロットとCAで馴れ初めは?

引用:デイリースポーツ

劇団ひとりさんの本名は川島省吾さんで、両親と4歳上の兄と4歳下の妹がいる5人家族です。

父親は日本航空の国際線パイロット、母親は元客室乗務員として勤務していて、両親は職場で知り合い、結婚たと思われます

父親とはよくUFOの話をしていて、UFOを見たと報告すると地上勤務に移動させられるという話を聞いていました。

母親は元ミス札幌に選出されるほどの美しい人で、現在はマナー講師として活躍しています。

劇団ひとりさんはラスベガスに深い関わりがあるようで、両親との旅行中に母親から衝撃の告白をされました。

劇団ひとりさんの両親と出生の事実を確認していきたいと思います。

父親はパイロットでよくUFOを発見してた!

劇団ひとりさんの父親は、日本航空(JAL)の国際線のパイロットをしていて、劇団ひとりさんが物心ついたころにはボーイング747をメインに乗っていたようです。

劇団ひとりさんは、父親との会話では、UFOの目撃について話していたようです

どんな会話をしていた?と尋ねられ、「『パイロットはUFO(未確認飛行物体)を見てもUFOを見たって報告しちゃいけない』っていうのはよく言われていました」と明かした。

引用:スポニチアネックス – https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/03/23/kiji/20220323s00041000561000c.html

UFOを見たことを報告すると地上勤務に降ろされると聞かされ、その理由については、そういう人に飛行機の操縦は任せられない規定なのだと説明されました。

UFOを見たことを報告すると、地上勤務になるという話しは本当なのでしょうか?

『たけしの超常現象マル秘×羽鳥&ひとりが絶叫!!放送中UFO出現SP』で1986年にアラスカ上空でUFOと遭遇した日本航空機の機長が危険を感じ米軍に救助を要請したことを放送しました。

番組に出演していた劇団ひとりさんはこの機長と知人であることを明かして、そのときに知った話をしています。

アラスカに住んでいたときにその機長は隣の隣に住んでいて、機長を含め3人が操縦室でUFOを見たという報告をするけどいいか、と全員で確認し、報告するとみんな地上勤務になっていたという内容でした

ひとりは続けて「だけど目の前に(UFOが)いるし、なんかあったら怖いからということで救助を要請しますということで米軍に頼んだそうです。そしたら案の定、地上勤務になった。だから僕、けっこうUFO信じてます。すっごいまっとうな方でした」と振り返った。

引用:デイリースポーツ – https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/12/27/0007617168.shtml?pg=2

劇団ひとりさんもお笑い芸人ですから、UFOをみた人が地上勤務になったということを話題として、盛っている可能性はありそうですね。

UFOを見たことを報告してクビになるかは、パイロットになってみないとわからないことで、UFOが実際に存在するのかどうかも都市伝説なので、信じるか信じないかはあなた次第?かもしれません

母親は元CAでミス札幌ってホント?

劇団ひとりさんの母親は、川島育子さんと言う名前でマナー講師をしています。

劇団ひとりの母・川島育子さん

引用:株式会社システムブレーン – https://www.sbrain.co.jp/theme/T-28478.htm

母・育子さんは北海道小樽市の出身で、若い頃にはミス札幌に選ばれています。

ミス札幌は札幌オリンピックが開かれた1972年に始まりましたが、イベント数や応募者数の落ち込みから、第40代を最後に廃止されました。

母・育子さんの年齢から考えると、初期の頃のミス札幌だったのではないかと思われますが、過去の結果を探しても見つからないため、何代目のミス札幌だったのかは確認できませんでした。

元CA(国際線客室乗務員)であることは、現在のマナー講師のホームページのプロフィール欄で確認できます。

引用:株式会社システムブレーン – https://www.sbrain.co.jp/theme/T-28478.htm

現在は有限会社コミュニケーションズ・アソシエイトを設立し、講演会や会社の研修の講師をしています。

劇団ひとりさんの母・川島育子さんは、3人の子育てや客室乗務員の経験から「親が成長癖を付ける」「子どもの心に耳を傾ける」「プラスのメッセージを伝える」を中心に講師でお話しています。

また育子さんは以前、テレビにも出演したことがあります。

高校生の時に、日本テレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の人気コーナー『お笑い甲子園』に出演していた劇団ひとりさんの自宅に兵藤ゆきさんが自宅を訪問したときに少しですが映っています。

目が覚めるような黄色いノースリーブのワンピース姿の母親が出迎えると、VTRを見ていたスタジオのしゃべくりメンバーから「へぇ~~!」「これお母さん?!」「色っぽいな」と驚きの声が上がった。

引用:デイリースポーツ – https://www.daily.co.jp/gossip/2024/02/12/0017324306.shtml?pg=2

劇団ひとりの出生にラスベガスが関係してる?

劇団ひとりさんとラスベガスとの関係は、母親から暴露された「出生の秘密」のエピソードでした。

20年くらい前に劇団ひとりさんは、両親とラスベガスに旅行した時に、ご飯を食べて、ホテルまで両親と一緒に歩いているときに衝撃の告白をされました。

母親は酔っぱらい「いい気分」になっていたようで、劇団ひとりさんにラスベガスについて聞きました。

あなた、この街好きでしょう

劇団ひとりさんは「楽しいし好きだよ」と返すと、母親は「やっぱりね」と言ってニヤリと笑いました。

劇団ひとりさんが理由を尋ねると、母親から信じられない内容の告白をされてしまいます。

あなたはこの街でできたのよ

母親はスイッチが入ってしまったのか、父親にも話を振って、父親を困惑させていました。

「『ね?お父さん』って(母親が)言ったら、お父さん、顔を真っ赤にして『そうだっかな』って(笑い)。『女は分かるのよ』って」と、両親の赤裸々な会話を明かした。

引用:スポーツ報知 – https://hochi.news/articles/20230627-OHT1T51053.html?page=1

ベガスに旅行に行った時に、あたしが“仕込まれた”らしいんですよ

衝撃の事実を聞いた時の話を劇団ひとりさんは、笑いながら振り返っていました。

劇団ひとりは母親の告白に対して嫌な思いはなく、自分がどこで出来たかを知れて、うれしかったと話しています。

自分が生まれた時の話を親から聞くことはよくあると思いますが、自分が”仕込まれた”時の話を親に聞かされるのは、なかなかの経験ですね。

そういった話も自然としてしまうほど、仲のよい親子ということがわかります。

その後、カジノでいくら負けても痛くもかゆくもなく、自分自身を勝ち取った街だと思い、充実した気持ちになったようです。

共演者の村上信五さんにも、今度、聞いてみなよと勧めていました。

自分自身が誕生したルーツなんて、普通は知らないですよね!

劇団ひとりの幼少期はアラスカの帰国子女だけど英語力は?

劇団ひとりさんは父親の仕事の関係でアラスカに小学校2年生から5年生まで暮らしていました。

アラスカの小学校では天才児といわれ、英語も半年でペラペラになっていたと話しています

仲のよかった友達ともちゃんとお別れせずに日本に帰ってきましたが、思い出ではなくインタビューに答えていたときに思い出したと言っています。

幼少期にアラスカにいたので、英語もしゃべれるのかと思いきや、すでに日常会話レベルになってしまっていることを自覚しています。

それでも、英語のインタビューの仕事を受けてしまい、大失敗に終わってしまいました。

アラスカにいた頃は、あるオリンピック選手が近くに住んでいて、親同士が仲がよかったため、その選手のお母さんが劇団ひとりさんのことをよく覚えていました。

アラスカにいた頃の劇団ひとりさんはどんな子供だったのでしょうか?

アラスカでの幼少期は?

アラスカでの小学校では天才児といわれていたようです。

アラスカの小学校の授業は日本より、かなり遅れていたと話していますが、劇団ひとりさんの言うことだけに信用はできません

学校では天才児扱いでしたね。日本では九九を暗記してたのに、向こうの小学2年って、机に載せたビンのフタを数えるような授業。

引用:Trending Articles – https://toeic474.rssing.com/chan-45805954/article2.html

日本の授業と違い、アラスカの学校では机に載せた瓶のフタを数えるような授業で、「シックス」と言ったら「グレート!」といわれ、学校では天才児扱いでした。

算数は飛び級で5年生の授業内容をやっていて、アラスカでは優等生でした。

しかし日本に帰国してみると、日本人の同級生に比べるとはるかに遅れていて、授業についていけなかったそうです。

そのため、中学受験にも失敗してしまったそうです。

それまで天才と呼ばれていたのに、急に授業についていけなくなるのは、小学生のひとりさんにとってはかなり衝撃的だったのではないでしょうか。

現在、『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』でMCを務めている劇団ひとりさんですが、日本の小学校の授業を受けたのは、まさに小学5年生以降です。

10歳の頃の劇団ひとりさんの写真を使用した単行本の表紙

引用:太田プロダクション – https://www.ohtapro.co.jp/talent/gekidanhitori.html

小学校5年生の頃に日本に帰国することになった劇団ひとりさんは、アダムという一番の親友に日本に帰えることを伝えることができませんでした

帰国する前日スクールバスに乗る直前『オレ、実は日本に帰るんだ』って言ったんですけど、『また変なジョークを言いやがって』ってそのまま帰っちゃったんです。だから”冗談”のままお別れしちゃったんですよ。そのことを思い出し…いや、本当は思い出していないんですけど(笑)、今話しながら思い出しました

引用:livedoor News – https://news.livedoor.com/article/detail/10960294/

インタビューで、アダムとの思い出?を話し、笑いに変えていました。

帰国子女だけど英会話はできる?

劇団ひとりさんの英会話は日常会話程度と自覚していています

しかし、小学生の時に英語で日常生活を送っていたので、素養はあるようです。

2022年に出演した『人志松本のすべらない話』では、数年前にハリウッドのオーディションを受けたエピソードをお話していました。

劇団ひとり

数年前にハリウッド映画の出演のオファーが来たんですよ

形式上のオーディションだったそうなんですが、必死に英語のセリフを覚えて、オーディションに臨んだそうです。

どのくらいのセリフを覚えていったのかはわかりませんが、英語のセリフを覚えるくらいには英語がしゃべれるようですね。

ちなみにそのオーディションは、”イメージにあわない”という理由で落選してしまったそうです。

引用:CREA – https://crea.bunshun.jp/articles/-/41354

劇団ひとりさんは、帰国後日本の学校に通っていて、日常的に英語をしゃべる機会はなくなってしまいました。

語学は使わないと忘れてしまうのが通常です。

そのため、日常会話程度しかしゃべれないと自覚していますが、自分の英語力を過信して失敗してしまった過去もあるようです。

NHK『英語でしゃべらナイト』に出演し、アメリカ人俳優に英語でインタビューする機会がありましたが、まったく通じませんでした

英語でインタビューができると思っていたNHKのスタッフにとっては大きな誤算となってしまいました。

『ネプ&イモトの世界番付』でも英語を披露していますが、英会話ではなくネタを披露して、外国人の女の子を困らせていました

引用:画面キャプチャ(ネプ&イモトの世界番付より)

相変わらずの劇団ひとりワールド全開で、腹筋崩壊した視聴者がいるようなので、一度、見てみるといいかもしれません。

フィギュアの村主章枝とは幼馴染!

劇団ひとりさんとフィギュアスケーターの村主章枝(すぐりふみえ)さんは、小学生時代に近所に住んでいた幼馴染です。

「午前0時の森」のゲストとして村主章枝さんが出演し、劇団ひとりさんとの関係を明かしています。

村主章枝さん

引用:女性自身 – https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2160391/

村主章枝さんはトリノ五輪の日本代表として出場し、現在はラスベガスを拠点にプロの振付師として活躍しています。

番組の冒頭で司会の村上信五さんが、劇団ひとりさんと村主章枝さんに2人の関係について質問すると、劇団ひとりさんは「ごめんなさい、ちょっと深い関係があって」とジョークで答えます。

そんな劇団ひとりさんのジョークに爆笑しながら、村主章枝さんも「今日はひとりさんのために帰ってきました」とうれしそうに返していました。

ひとりは村主さんとの関係について説明。「お互い親がパイロットで。当時、ソ連の上が飛べなかったから、アラスカ経由でヨーロッパへ行っていた。そのアラスカに同時期に、(ともに)転勤じゃないけど、時期がかぶってた」と驚きの接点を明かした。

引用:スポーツ報知 – https://hochi.news/articles/20231212-OHT1T51091.html?page=1

劇団ひとりさんと村主章枝さんは2年ほど近所に住んでいたことがある幼馴染でした。

村主章枝さんはアラスカに住んでいたのがきっかけでスケートを始めたことを話すと、劇団ひとりさんは自分がきっかけだと豪語します。

実際には、小さい頃のことでお互いのことあまり覚えておらず、親同士が仲良くしていたようです。

村主章枝さんのお母さんは劇団ひとりさんのことをよく覚えていたようで、当時から少し変わった子どもだと話しています。

劇団ひとりの先祖もすごい!

現在、テレビのMCや俳優以外にも、映画監督としても活躍中の劇団ひとりさんですが、その先祖もすごいと話題です。

劇団ひとりさんは千葉県で生まれましたが、高知県と深い関わりがあり、第二の故郷といっています。

ひとりさんの先祖は高知県の人で、曽祖父は高知市長を務めた人物です。

そんな劇団ひとりさんは、高知放送特番の『劇団ひとりとビビる大木の爆旅!!俺たちは高知が大好きだ!!』に出演しています。

引用:NEWSCAST – https://newscast.jp/news/2606933

高知にゆかりのある劇団ひとりさんとビビる大木さんの2人が県内自治体のPR動画を制作しながら旅する番組です。

また、高知出身の島崎和歌子さんのローカル番組『土佐流おもてなし 小料理和歌子』に出演したときには、劇団ひとりさんの先祖が紹介されていました。

高知にゆかりがある劇団ひとりさんの先祖はどんな人だったのでしょうか?

劇団ひとりさんの先祖や親戚について詳しくみていきたいと思います。

曽祖父は高知市長

劇団ひとりさんの曽祖父は川島正件(せいけん)さんで、第12代高知市長を務めた政治家でした。

川島正件の写真を持った劇団ひとり

引用:高知新聞- http://www.kochinews.co.jp/article/71148/

川島正件さんはどんな人だったのでしょうか?

長岡郡吉野村で書記を務めながら、独学で小学校美術教員免許を取得し、簡易小学校教員に就任します。

長岡郡や高知県の仕事を従事し、1916年9月に高知市の助役となり11年間、在任します。

1927年8月26日から1933年1月7日までの約5年半、高知市長として様々な活動を行いました。

1927年8月26日、高知市長に就任し、公設質屋、保育園、塵芥焼却場、中央卸売市場、市営運動場などの設置、方面委員の委嘱を行うなど社会政策面の施策を推進し、1933年1月7日に市長を退任した

引用:ウィキペディア – https://ja.m.wikipedia.org/wiki/川島正件

市長退任後は、教育者として城東商業学校校長、土佐中学校理事長、高坂高等女学校協会理事を務め、その後は高知商工会議所顧問を務めました。

城東商財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第5代会長でもあります。

高知のために活動し、1959年12月15日、90歳で亡くなりました。

大叔父は漫画家で発明家だった!

劇団ひとりさんの大叔父は高知新聞夕刊に4コマ漫画の『しばてん』を連載したこともある漫画家の川島三郎さんです。

川島三郎さんは高知新聞で開始した「マンガ教室」は、投稿まんがを募集して新人の登竜門となりました。

川島三郎さんは高知新聞で漫画を連載するかたわら、発明家でカセットテープ再生機のオートリバースの機能を発明したといわれています。

カセットテープのオートリバース機能とは、カセットテープの片面が終わると自動的に反対の面を再生する機能です。

それまでは、手動でカセットテープをひっくり返していたので、当時は画期的な機能だったのでしょうね。

川島三郎さんは、この機能を特許申請することなく、SONY創業者井深氏に無償であげて、井深氏がビジネスとして成功したというウワサもあるようです

本当の話なら、劇団ひとりさんの家電好きなのも納得できますね。

(2021年アメトーーク!より)

引用:テレビ朝日 – https://post.tv-asahi.co.jp/post-173970/

川島三郎さんの息子は長宗我部元親像などを制作した銅像作家の濱田浩造さんです。

濱田浩造さんが使っていたアトリエのメンバーが、アトリエの20周年を記念した展示会を県立美術館で開催し、濱田浩造さんが長宗我部元親像を作る際に使った石膏の型も展示されていました。

先祖は坂本龍馬に関係ある?

劇団ひとりさん先祖には、幕末の尊王攘夷運動家であり、野根山二十三士の一人として活動し、安芸郡岩佐番士頭を務めた川島総次さんがいます。

野根山二十三士は、同じ土佐の坂本龍馬や岡田以蔵などとは違って、世間的にはあまり知られていません。

土佐勤王党の首領である武市瑞山を救出しようとした動きで、長州藩軍が京都に向かって進軍したタイミングに合わせた行動でした。

土佐藩庁は清岡らの嘆願を却下し、二十三士の行動を反乱とみなして追討の兵を派遣し、二十三士は追っ手から逃げるために隣の阿波徳島藩領に踏み入りました。

しかし、二十三士は徳島藩によって身柄を拘束されてしまい、野根山決起計画は、ここに潰えたのでした。

元治元年9月5日、安芸郡を流れる奈半利川の河原で二十三士の処刑がおこなわれました。

川島総次さんが41歳の時でした。

歴史的な事件に関わった川島総次さんですが、坂本龍馬と深い関係があるようです。

川島総次さんの妻は、土佐藩士中岡慎太郎の異母姉である縫さんなのです。

中岡慎太郎

引用:ウィキペディア- https://ja.m.wikipedia.org/wiki/中岡慎太郎

中岡慎太郎といえば、坂本龍馬とともに斡旋した薩長同盟が有名です。

中岡慎太郎は長州藩内で脱藩してきた志士達のまとめ役となり、京を追われていた三条実美の警護をしながら、各地の攘夷志士の連絡役となっていました。

長州藩側の中岡慎太郎が発案者となり、薩摩藩側の坂本龍馬が薩長の間の相互支援を取り持ち、薩長同盟が締結。

京都四条の近江屋で共に暗殺され最期を迎えました。

川島総次と縫との間に生まれた男子が家を継ぎ、5代のちの子孫が劇団ひとりさんなので、中岡慎太郎とも親戚になります。

劇団ひとりさんは27、28歳のころに両親とプライベートで高知を訪れた、安芸郡田野町にある二十三士の墓にも足を運んでいて、自分のルーツを確認しています。

劇団ひとりの嫁は大沢あかねで祖父は大沢啓二

劇団ひとりさんの嫁はタレントの大沢あかねさんで、2人は2009年に結婚しました。

引用:ORICON NEWS – https://www.oricon.co.jp/news/63200/full/

結婚当時23歳だった大沢あかねさんは、劇団ひとりさんとの結婚を周りに心配されていたことをのちに明かしています。

当時を振り返り、大沢は「結婚をそんなに早く自分がするとは思っていなかったので、大変でしたけど。やっぱり周りも反対していましたし。『ちょっとまだ早くない?』みたいな。でもすごく楽しかったですね」と明かした。

引用:東スポWEB(2024年8月13日) – https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/313094

仲良し夫婦で知られる2人ですが、結婚前や新婚の頃はよく喧嘩もしていたようです。

結婚前には、フードプロセッサーで大根おろしを作れるかを巡って大げんかに発展し、劇団ひとりさんが主張した「作れる」説が正しかったのですが「うるせぇコノヤロー!」と一蹴されました。

大沢あかねさんが第一子を妊娠いているときは、つわりが凄く辛かったときに、劇団ひとりさんがちょっと飲みに行ってくると言われると、「もう帰ってくるな!」と返しました。

これまでの喧嘩のなかで、一番激しい喧嘩だったようです。

劇団ひとりさんは喧嘩した後に仲直りするのが苦手なのか、誕生日にユニークなプレゼントをお願いをしました。

ひとりさんの誕生日に、大沢さんとケンカした際に使用できる「仲直りできるチケット」が欲しいと言われ、大沢さんが作って渡したそう。

しかし、いざ2人がケンカしたときにひとりさんがチケットを使おうとすると、あかねさんは「ふざけんなよ!」と一蹴したという。 

引用:週刊女性PRIME – https://www.jprime.jp/articles/-/29944

劇団ひとりさんらしい大胆な行動ですが、大沢あかねさんには通じなかったようですね。

最近の喧嘩も17年連れ添った夫婦らしいエピソードです。

大沢あかねさんは家でもイヤホンを着けていて、劇団ひとりさんに話しかけられても大事な話じゃないときは、「何となく口のサインで『オッケー』」と生返事を返します。

イヤホンを取る、取らないで喧嘩しているようです。

これに劇団ひとりは「俺が喋ってんだから取ってくれよ!」と不満を口にするも大沢がイヤホンを外さないため、最近では劇団ひとりも同じようにイヤホンを着け始めたようで、「私が喋りかけたら向こうもずっと聞こえない…だから『取れよ!』って言って、『お前こそ取れよ!』」とずっと夫婦喧嘩をしていると話していた。

引用:Yahoo!ニュース – https://news.yahoo.co.jp/articles/d89a25590e378b55c01c1552783e0cc54b0e3f51

喧嘩もする2人ですが、お互いに対して感謝もしています。

大沢あかねさんは劇団ひとりさんに対して人間的にできた人だと話しています。

大沢あかね

めちゃくちゃできた人なんです、人間的に。だからうまくもってるんだと思います

大沢あかねさんは結婚にはネガティブなイメージしかなく、周囲からも結婚について楽しい話を聞きませんでした。

大沢あかねさんの両親は幼少の頃に離婚していて、父親の顔もわからず、シングルマザーの家庭で育ち、炊事・洗濯をしなくてはならない環境だったことも影響していました。

大沢あかね

彼が私みたいな性格でわんやわんや言っていたら、即離婚してたけど、彼が耐えてくれています

劇団ひとりさんのすべてを受け入れてくれるような優しい人柄が結婚生活を続けられる理由だと語っています。

人見知りで無愛想なタイプに見える劇団ひとりさんですが、大沢あかねさんにとって、友人でもあり、父親であり、パートナーとして絶大な信頼を寄せています。

劇団ひとりさんも大沢あかねさんに対して、感謝の気持ちも明かしています。

劇団ひとり

完璧なんですもん。優しいし。すごい人だと思う

おしどり夫婦の劇団ひとりさんと大沢あかねさんは、出会ったときからお互いに好意をもっていたのでしょうか?

2人の出会いと結婚までの気持ちの変化を詳しくみていきたいと思います。

嫁との馴れ初めは?

劇団ひとりさんと大沢あかねさんの馴れ初めは、『クイズ!ヘキサゴン』の共演でした。

大沢あかねさんは、劇団ひとりさんが最初は苦手で印象も最悪でした。

「(ひとりは)結構シャイっていうか、クイズ番組とかで会っても、全然あいさつもしてくれないし、彼が“俺は所詮、大沢あかねレベルの女とした付き合えないんですよ”って言ったときに、すごい腹立って、“もうこの人嫌い!”って思ったんです」

引用:スポニチアネックス – https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/17/kiji/20221017s00041000224000c.html

2007年の春ごろにお笑いタレントの仲間を入れて3人でもつ鍋を食べに行くと、大沢あかねさんは、劇団ひとりさんのことを優しい考え方をする人だと感じました。

最初は嫌いで、最低だと思っていた印象が変わり、大沢あかねさんは劇団ひとりさんのことを好きになりました。 

アタックは「私から」と大沢。「そのあとに家でテレビを見ていて、彼がCMで出てきたときに、“あ、私、この人と結婚するかも”と思ったんです。ビビビッときて…」と告白。「そこから自分から“今度、一緒にデートしませんか?”とか誘ったりして」と振り返った。

引用:スポニチアネックス – https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/17/kiji/20221017s00041000224000c.html

劇団ひとりさんと大沢あかねさんは極秘で交際を始めていましたが、たまたま番組で共演することになりました。

テレビ東京系『ゴッドタン』で、女性タレントに「おっぱいを見せて」とお願いするというゲス企画で、その女性タレントに大沢あかねさんが依頼されます。

大沢あかねさんは、あわてて劇団ひとりさんに連絡し、「何とかうまくやろう」と2人は決意しました。

番組の収録が無事終わると、2人でうまく切り抜けたことを喜び合いました。

その後は、2007年6月に都内の高層ビルの焼き肉店で手をつないでデートしている模様が女性週刊誌で親密交際と報じられました。

劇団ひとりさんはテレビで「芸能人の彼女」と明かすなど交際を公表し、大沢あかねさんもイベントで「仲良くさせていただいています」と幸せそうな表情で認めていました。

2008年3月には写真週刊誌に2人が都内のスーパーで買い物をする姿を報じられ、2009年2月17日に結婚を発表しました。

引用:オークションサイト

劇団ひとりさんは大沢あかねさんのことをタイプではなかったようで、魅力について聞かれると「一緒にいて居心地はいいです、それは間違いない」といい、「それ以外ない!」と断言し、笑いを誘っています。

そんな劇団ひとりさんですが、大沢あかねさんに対して、よく若い頃に結婚しようと思ってくれたと感謝しています。

妻について問われたひとりは「よく一緒になってくれたなって思う」としみじみ。「まだ(結婚当初大沢は)23歳だったんだよ」と明かし、共演者のお笑いコンビ「アンタッチャブル」の山崎弘也が「芸能界で23で結婚してる人そんなにいない」と驚いた。

引用:毎日新聞- https://mainichi.jp/articles/20240731/spp/sp0/006/157000c

捨てられるのが本当に怖く、毎日ちゃんと使えるやつだって思われたいとぶっちゃけてもいます。

公の場では、大沢あかねさんとの結婚に関する質問に対し笑いとして話していますが、劇団ひとりさんなりの照れ隠しなのかもしれませんね。

大沢親分こと大沢啓二について

大沢あかねさんの祖父は元プロ野球選手で、日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)監督や球団常務を歴任した大沢啓二さんです。

引用:X(大沢親分)

大沢親分は「サンデーモーニング」(のちに「関口宏のサンデーモーニング」)で、週刊御意見番の“喝”というセリフで多くのお茶の間の人に知られるようになりました。

大沢親分がなぜ親分なのかは、監督時代にサングラスを掛けた貫禄のある姿と性格、べらんめぇ口調から、”親分”のニックネームで親しまれました。

監督時代の大沢啓二さん

引用:週刊ベースボール – https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200822-13

監督時代の成績も素晴らしかったのですが、それ以上に注目されたのが通算退場回数でした。

通算退場回数は7回で歴代で5番目に多いのですが、すべての退場が監督時代でした。

タフィ・ローズ(14回)、マーティ・ブラウン(12回)、金田正一、落合博満(8回)に次ぐ記録を持ち、そのすべてが監督時代である。

引用:ウィキペディア – https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大沢啓二

監督としての退場回数7回は、2009年8月27日にブラウンに抜かれるまでプロ野球最多記でした。

『サンデーモーニング』内で退場の話題が出ると、「暴力反対」と唱えたり、退場の通算回数ランクが書かれたフリップが提示されるなど、毎回笑いを呼んでいました。

劇団ひとりさんが大沢あかねさんと結婚することをは大沢親分に認めてもらうように食事にいくことになりました。

そのときの食事では、緊張と大沢親分がプロ野球の監督をしていたことも知らないほど野球の知識がなかったために会話を盛り上げられませんでした。

食事会では打ち解けなかったようですが、大沢親分は劇団ひとりさんのまじめで一本気な性格を周囲から聞き、可愛い孫娘の相手にふさわしい男と太鼓判を押していました。

2人が結婚発表をすると大沢親分は「あっぱれ」といい、祝福していました。

大沢親分は2010年10月7日、78歳のときに胆のうがんで亡くなりました。

劇団ひとりと大沢あかねの子供は何人?子育て方針は?

2009年に結婚した劇団ひとりさんと大沢あかねさんには、14歳の長女、8歳の長男、5歳の次女がいます。

写真はCMで共演した子役

引用:おたくま経済新聞 – https://otakuma.net/archives/2022060701.html

劇団ひとりさんは教育に自信がないと話していて、その理由は自分が勉強していなかったからと説明しています。

子どもが勉強して本当に幸せになるかも分からないし、漫画に夢中になってる気持ちのほうが、将来いい方向にいくこともあるのではと考えています。

「自信持って言えるのが、誰かを傷つけるとか、絶対にやっちゃいけないこと。それしか注意できない」

「この芽を摘んでいいのかな、何か夢中になってるって大事なことなんじゃないかなって思うから」

引用:Exciteニュース – https://www.excite.co.jp/news/article/E_talentbank_525362/

劇団ひとりさんにとって、子どもと過ごす時間は何よりも優先すべきことと考えています。

執筆活動を12年していなくても、両立できないで悩むことはなく、休みの日はこともをどこかに連れて行ってあげたいし、一緒にいたいと思っています。

劇団ひとりさんは、自分が死ぬときのことを考えているようで、自分が死ぬときは仕事をやらない後悔よりも子どもと一緒に過ごせないほうが後悔するといっています。

僕はよく自分が死ぬときのことを考えるのですが、自分が死ぬときに「子育てしないで小説を書いていればよかった」なんて、まぁ思わないですから。「あのとき仕事なんかしないでもっと子どもたちと過ごしてやればよかった」と思うに決まってる。そもそも悩むことはないんです。自分の人生において、優先順位ははっきりしていますから。

引用:CREA – https://crea.bunshun.jp/articles/-/38640

劇団ひとりさんの父親ぶりには協力的な、いいお父さんと話しています。

朝、子どもを学校に送ったり、夜ご飯の材料をスーパーで買って帰ってきてくれるようで、夕方に仕事終わる時は早めに帰宅して、大沢あかねさんを気遣っています。

大沢あかね

「1人でどっかご飯食べておいでよ」とか、「好きなとこ行っておいでよ」って言ってくれる

劇団ひとりさんは子どもたちにも人気で、ひとりさんが帰ってくると玄関までお出迎えにいき、次女には「パパ、愛してるよー!」とうれしい言葉で迎えられています。

そんな劇団ひとりさんの子育てについて、大沢あかねさんは信頼し、ついていこうと思っています。

役割分担も夫婦でしていて、夫は教育面でも子どもたちをサポートしてくれていますし、彼のいうことは間違いない、ついていこう!って思っています。

引用:STORY – https://storyweb.jp/lifestyle/418348/

子どもたちは芸能界に入れたいとは考えておらず、長女が生まれたときに、料理人にしたいなと思っていると話しています。

2人で『今日は娘の店で一杯やってくか』みたいな話をするのが夢のようです。

劇団ひとりの両親はパイロットとCA!大叔父は漫画家で先祖は高知市長!【まとめ】

芸人としてだけでなく、小説家や俳優、演出などマルチに活躍する劇団ひとりさんの家族について紹介しました。

劇団ひとりについてわかったこと

  • 劇団ひとりの両親はパイロットとCAで職場結婚し、ラスベガスに家族旅行のときに劇団ひとりが仕込まれたことを告白された
  • 劇団ひとりは幼少期にアラスカに住んでいたのは幼少期の3年で、英語は日常会話レベルと自覚している
  • 劇団ひとりは教育は難しいと話し、勉強よりも好きなことをやらせたいと思っていて、仕事を選んで、子どもとの時間がなくなるほうが後悔すると考えている

劇団ひとりさんは、これからも家族を大事にしながら、芸人だけではなく、小説家、俳優、演出家として活躍することでしょう!

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