草笛光子の娘は芥川龍之介の孫!若い頃【画像】結婚した夫はまだ生きてる?

草笛光子の娘は芥川龍之介の孫!若い頃【画像】結婚した夫はまだ生きてる?

草笛光子さん(1993年生まれ)は、1953年「純血革命」での初映画出演後、今でもドラマ・映画・舞台などに出演しつづけています。

御年91歳です!

2024年の映画「九十歳。 何がめでたい」での演技により、第48回日本アカデミー賞の優秀主演女優賞も受賞されました。

NHK大河ドラマでは、「鎌倉殿の13人」で源頼朝を支えた乳母・比企尼を演じています。

日本ミュージカル界の草分け的存在でもあり、「ラ・マンチャの男」「シカゴ」などの日本初演に参加しています。

その演技が認められ、1999年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章、更に芸術祭賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、毎日芸術賞など多数の受賞。

26歳の時に結婚しますが、そのお相手というのが、小説家・芥川龍之介さんの三男にあたる「芥川也寸志」(あくたがわやすし)さんでした。

芥川也寸志さんには、2人の娘さんと1人の息子さんがいますが、3人とも芥川龍之介さんのお孫さんということになります。

ということは、草笛光子さんの娘さんが芥川龍之介さんの孫ということになるのでしょうか?

今回は、草笛光子さんの結婚や子供のこと、芥川龍之介さんのその後、離婚後の草笛光子さんの舞台にかける情熱と活躍まで、詳しく紹介していきたいと思います。

  • 草笛光子の若い頃に結婚した夫との馴れ初めと離婚
  • 草笛光子の娘は芥川麻実子?経歴と現在の活躍
  • 草笛光子の若い頃【画像】きれい!25歳当時の写真から年代ごとに紹介!
  • 草笛光子は再婚したの?女優業に専念してきたね!90歳を超えても現役!
目次

草笛光子の若い頃に結婚した夫はまだ生きてる?

草笛光子さんは、26歳で大恋愛の末に芥川也寸志さんと結婚したと話しています。

草笛さんは、「ただ好きだから結婚する」とシンプルに考えていたそうですが、まわりからも親からも大反対されたといいます。

芥川也寸志さんに前妻との間にできた2人の連れ子がいたことが、反対理由の1つだったようです。

反対を押し切って結婚したものの、2年たらずで離婚。

その後芥川也寸志さんは、1970年に江川真澄さんと3度目の結婚

そして、息子・芥川貴之志(たかとし)さんが生まれます。

芥川也寸志さんは作曲家・指揮者として活躍し、テレビやラジオの音楽番組にも出演、お茶の間の人気も高かったのですが、1989年、肺癌のため入院先の病院で亡くなりました。

ここからは、草笛光子さんと芥川也寸志さんの結婚と離婚について見ていきます。

芥川也寸志との馴れ初め!芥川龍之介の息子ってホント!

引用:MUBI-https://mubi.com/en/cast/yasushi-akutagawa

芥川也寸志(あくたがわやすし)さんは、1925年に、小説家・芥川龍之介さんの三男として生まれました。

芥川龍之介といえば、「羅生門」が高校の教科書にでてきますよね。

母親は、海軍少佐・塚本善五郎の娘の文さん

父・龍之介さんは1927年に自殺されていますが、也寸志さんは幼少のころから父親の遺品であったクラシックのレコードを愛聴していたそうです。

芥川也寸志さんは、1948年に最初の結婚で二女をもうけましたが、1957年に離婚し子どもを引き取っています。

そして、2度目の結婚相手(1960年)となったのが草笛光子さんでした。

草笛光子さんは、1950年に松竹歌劇団に入団し、淡路恵子さん・深草笙子さんと共に「スリーパールズ」を結成し舞台で活躍しています。

1953年映画デビュー後は数々の映画に出演し、1958年からはテレビの音楽バラエティー番組「光子の窓」で人気者に

いつ2人が知り合い恋愛関係になっていったのかはわかりませんでしたが、美しい草笛さんはかなり目を引く存在だったのではないでしょうか。

華やかな結婚式と報道を振り返る

引用:YAHOO!オークション-https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c1121351068

2人が結婚式を挙げた場所は、麻布の鳥居坂教会

この週刊誌の記事には、「恋愛して婚約して、そして待ちに待ったゴールイン」と書かれていますが、芥川さんんと草笛さんのことなのでしょうか。

草笛光子さん自身は、大恋愛でまわりの反対を押し切って結婚したと話しています。

草笛さんのコメントは「胸がいっぱいで何も言えません」とあり、お2人とも本当に幸せそうな笑顔ですね。

草笛さんの自宅にあるクッション。

自身の結婚式のイブニングドレスのコートをリメイクしたものだそう。

そのドレスは森英恵さんデザイン…
刺繍が見事です。

素敵なものは時を超えます。

引用:草笛光子+スタッフ インスタグラム – https://www.instagram.com/p/ChbqQ8FOwCi/

短い結婚生活と離婚理由

残念ながら2人の結婚生活は、1年と9か月で終わってしまいます。

芥川也寸志さんの2人の娘と也寸志さんの母親・文さんとの生活は、草笛光子さんにとって思うようにいかなかったようで、このように話しています。

結婚生活は2年と持ちませんでした。生活も仕事のし方もどこか合わなくて、ギクシャクしてしまったんですね。結婚後、私は女優の仕事をお休みして、彼のお子さんやお義母さんと一緒に暮らすようになり、肩身が狭くなってしまったというのもありました。私にとって結婚生活も離婚をすることも、とてもつらい経験でした。

引用:HALMEKUup-https://halmek.co.jp/exclusive/c/tips/12101

2018年、草笛光子さんが「ぴったんこカン・カン」という番組に出演した際、26歳での結婚を「長すぎた春だった」と話しています。

「長すぎた春」とは、長く交際していたが結婚には至らなかったことを意味するので、長い間交際して結婚したのにすぐに別れてしまったということなのかもしれませんし、婚約してから結婚までが長くかかったのかもしれません。

芥川也寸志さんは1957年に前妻と離婚、翌年1958年には、今でいうストーカー行為を芥川さんに繰り返していた女性が、京都の旅館で作曲中の芥川さんの部屋に乱入し服毒自殺をするという事件が発生しています。

もしかすると、そんなことも関係しているのでしょうか、、。

草笛光子の娘は芥川麻実子!本当の子供じゃないの?

草笛光子さんは芥川也寸志さんとの結婚で2人の娘の母親となりましたが、先述したように、2人の娘さんは也寸志さんの最初の結婚でのお子さんです。

その長女が、「芥川麻実子」さんです。

草笛さんと芥川さん2人の間には、子どもはいません。

ここからは、芥川麻実子さんの母親である芥川也寸志さんの最初の結婚相手について、そして芥川麻実子さんの経歴などを調べたので、紹介していきます。

芥川麻実子の母親はだれ?岡本太郎や草間彌生とのアート活動詳細

引用:沙織生誕100年特設サイト-https://saori-100th-anniversary.com/

芥川麻実子さんの母親は、芥川也寸志さんと最初に結婚した沙織さんです。

沙織さんの旧姓は山田で、結婚後「芥川沙織」となり、離婚したあと間宮幸雄さんと再婚し「間宮沙織」となっています。 

2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることもあります。

もともとは音楽学校で声楽を学んでいましたが、結婚後、家で歌うことを遠慮して声楽を諦め、女学校時代に描いていた絵画を再び始めています。

当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の1人であり、「染色」という独自の技法で道を切り開いた作家でもあります。

油絵やろうけつ染めを学び、1954年にはモダンアート協会展に「女」などを出品し、新人賞を受賞しています。

それでは、芥川(間所)紗織さんが生み出したのはどんな作品なのかを見てみましょう。

引用:芥川(間所)紗織 生誕100年 特設サイト – https://saori-100th-anniversary.com/#midokoro2

なかなかパワフルで、穏やかな見た目からは想像できない画風です。

また、後に女流七人展を開催していますが、そときのメンバーに草間彌生(くさまやよい)さんがいたのも、納得できますよね。

引用:SUMAU-https://sumau.com/2021-n/article/418

水玉が有名ですよね、、2016年には文化勲章を受章しています!

1955年には、日本の芸術家・作家である岡本太郎さんの勧めにより二科会に入りますが、岡本太郎さんの画風に通づるものがあるので、こちらも納得ですよね。

引用:Natsume-Books-https://www.natsume-books.com/detail.php?id=330972

公益社団法人二科会(にかかい)は、日本の美術家団体のひとつである。絵画部・彫刻部・デザイン部・写真部からなる「二科展」を毎年開催しているが、デザイン部・写真部は組織上では「公益社団法人二科会」に含まれておらず、個別に一般社団法人となっている。元文部科学省所管。

岡本太郎さんといえば、大阪万博の「太陽の塔」が有名ですね!永久保存されています。それと、「芸術は爆発だ!」は流行語になり、モノマネされています。

沙織さんはその後、数々の作品を手掛け画家としての功績を残していきますが、1957年に芥川さんとは離婚し、渡米。

渡米を機に、画風が一変します。

初期は、人物や植物的な形を線でユーモラスに表現していました。

1963年に建築家・間所幸雄さんと結婚しますが、1966年、妊娠中毒症のため病死します。

物凄く才能豊かな方ですね!

義理の娘の芥川麻実子の経歴と現在なにしてる?

引用:システムプレーン-https://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-12846.htm

芥川麻実子さんは、大学卒業後タレント活動をしますが後に渡米。

渡米した理由はこのように語っています。

「当時はフリーでしたが、テレビ局の女性アナウンサーというのはそうは残業もできませんし、夜中の取材にも行けません。ニュースでお天気を読むぐらいしかできなかった時代で、何となくつまらないというか、先が思いやられるみたいなね。」

引用:NEWS TOKYO-http://www.newstokyo.jp/index.php?id=985

1年のつもりだったのが、結局4年アメリカに滞在し、アメリカの文化・エンターテインメントに触れ、UCLAの映画学科にまで行ったそうです。

帰国後、日本をアメリカに紹介するテレビ番組のプロデューサーになりましたが、当時の麻実子さんにとっては苦手なことだったそうです。

その後、車社会・西海岸でのエピソードを綴ったエッセイが日本道路公団の目に留まり、高速道路の世界「道の道」に入ってしまったといいます。

「行政、技術……道ってすごく現実的なことですよね。そういう現実的なところで周りの方々に育てていただいていくうちに、クリエイティブな仕事をやりたいと思うようになっていきました。」

引用:NEWS TOKYO-http://www.newstokyo.jp/index.php?id=985

2007年、東京初の道の駅「道の駅八王子滝山」の駅長に就任し、現在は名誉駅長を務めています。

東京都内唯一の道の駅

初代駅長は、交通評論家で芥川龍之介のお孫さんとしても知られる芥川麻実子さん。首都高速道路の広報を手がけていた芥川さんのセンスは、店舗の看板デザインなどに活かされています。

引用:京王グループ -https://www.keio.co.jp/takao/details/michinoeki_takiyama.html

その後は、公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団ができ、理事に就任。

八王子フードフェスティバルの実行委員として、文化観光交流の場と機会を提供しているといいます。

そして芥川麻実子さんは、このように話しています。

「道の駅というのは日本固有の生活文化です。この「道の駅」という生活文化のブランドを世界に伝えたいと思っています。」

引用:NEWS TOKYO-http://www.newstokyo.jp/index.php?id=985

草笛光子の若い頃【画像】!25歳当時の写真から年代ごとに紹介!若い頃きれい

1958年、草笛光子さん25歳、映画「花嫁三重奏」の乾物店長女役

引用:FilmAffinityhttps://www.filmaffinity.com/es/film110326.html

1965年、ワイドショー番組「アフタヌーンショー」の司会をしていた頃

引用:GLOBE-https://globe.asahi.com/article/15303811

1976年、「犬神家の一族」の犬神梅子役

引用:MOVIE WALKER-https://moviewalker.jp/news/article/1061186/image10577888/

1983年撮影

引用:JIJI.COM-https://www.jiji.com/jc/d4?p=kbm022-img012&d=d4_hh

1990年2月撮影

引用:JIJI.COM-https://www.jiji.com/jc/d4?p=kbm022-img012&d=d4_hh

やはり、お綺麗な方はいつの時代もお綺麗、、

草笛光子は再婚したの?女優業に専念してきたね!

草笛光子さんは、1962年に離婚したあと再婚はしていません。

離婚後2、3年は、年間3本から4本の映画に出演し続けています。

1963年には、「コンサート型式によるミュージカルの夕べ」を東京文化会館で、一夜だけ公演しています。

もともと、ブロードウェイを訪れ、本場のミュージカルの素晴らしさに魅せられた草笛さん。

1967年には、日本で出演予定だったミュージカルから納得できない理由で降ろされ、傷心のままNYへ行き、そこで観た「ラ・マンチャの男」にショックを受けたといいます。

「日本では未だ、健康的に歌って踊る娯楽性の強いミュージカルが多かった時代に、ブロードウェイはここまで進化していたのか。日本は遅れているなと痛感しました」

引用:SPICE-https://spice.eplus.jp/articles/317434

そして「この作品を日本でも絶対にやらなきゃダメだ」と思い、帰国後、上演権を取るよう東宝に自家談判し、1969年に帝国劇場で開幕しました。

引用:livedoor News-https://news.livedoor.com/article/detail/24198910/

その後はミュージカル女優として活躍しながらも、40代の頃はドラマ「熱中時代」や映画「犬神家の一族」など、舞台以外の仕事も多くこなしています。

そして1981年、48歳のときに公演したミュージカル「光の彼方に ONLY ONEでは1人で舞台に立ち、スポンサーをつけずに自費で自分のやりたいようにやったそうです。

実は、1963年の「コンサート型式によるミュージカルの夕べ」のときも自費公演でした。

それでは、草笛光子さんがお金を注ぎ込んだという2つの舞台を、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

女優業を続けるためにと、自宅の立て直しもしています!

1番お金を注ぎ込んだのは舞台!自費公演ですっからかん

1963年、東京文化会館で公演した「コンサート型式によるミュージカルの夕べ」は、一日しか借りることができずたった一夜の公演でしたが、大金を払い貯金はなくなったといいます。

三島由紀夫さん監修、黛敏郎(まゆずみとしろう)さん音楽監督。

黛敏郎さんは、1953年に芥川也寸志さん・團伊玖磨(だんいくま)さんとともに「3人の会」を結成した作曲家で、作家の三島由紀夫さんは有名ですね。

出演者は草笛光子さん、フランキー堺さん藤木孝さん、それにダンサーやクラシックの方々。

スポンサーはなしで、東京フィルハーモニーや大きなバンドに演奏をお願いするという、なんとも贅沢な舞台だったのですが、一緒に出演していたフランキー堺さんには、怒られたそうです。

「こんなバカなことをするもんじゃないよ。スポンサーなしで、こんな一流の出演者やスタッフを入れて、お金がなくなるのは当然だ。二度とするな!」

引用:HALMEKup-https://halmek.co.jp/exclusive/c/tips/12101

それでも、当時マネジャーをしていた草笛さんの母親が、 すぐに映画の仕事をとってきてくれたそうです。

1981年の「光の彼方に ONLY ONE」は、パルコ西武劇場で8日間10公演し、冒険的な1人舞台は話題となり芸術祭優秀賞を受賞しています。

しかし予想以上に費用がかかり、貯金がなくなるどころか借金まで抱えたそうです。

草笛光子さんは、「いちばんお金を注ぎ込んだのは舞台、悔いはない」と言います。

「自分が情熱を注ぎ込んだ舞台にお金を使ったわけですから、悔いはありません。そんなバカな女優がいたっていいじゃない(笑)」

引用:HALMEKup-https://halmek.co.jp/exclusive/c/tips/12154

そして草笛光子さんには、もう一つお金を注いだものがありました。

50代で自宅を建て替え!地下に防音の稽古場ってホント?

草笛光子さんは50代で借金までして自宅を立て直し、地下に稽古場を作りました。

自宅にある稽古場で

「私は自宅で大きな声で存分に歌やセリフの稽古をしたくてね。そこにお金を注いだの。もうひたすらローンを払い続けました。自宅に差し押さえの赤紙が貼られたこともあるのよ。経理の担当が円形脱毛症になっちゃったくらい。」

引用:婦人画報-https://www.fujingaho.jp/culture/interviews/a38166362/rogo-no-shikin-ga-arimasen-mitsuko-kusabue-yuki-amami/
写真:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20211104000858.html

ただ、稽古場を作ったことに関しては、舞台美術家の朝倉摂(あさくらせつ)さんに褒められたそうです。

「それだけは朝倉摂さんに褒められた。「女優は毛皮とか、体にくっつけるものを買うけど、よくぞ稽古場をつくった」って。ビッグバンドが入っても外に音が漏れないし、私以外にもいろいろな人が使ってる。家を建てるのも、案外面白いわよ。」

引用:婦人公論-https://fujinkoron.jp/articles/-/4687?display=full

ということは、防音の稽古場ですね。

草笛光子さんは、年を重ねて行動範囲が狭まった今、自宅に稽古やトレーニングができる場所を作っておいてよかったと、しみじみ感じているといいます。

自宅にパーソナルトレーナーに来てもらって、トレーニングをしているそうです。

ついに叙勲を受けるまでになったね

引用:毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20241025/k00/00m/200/057000c

2024年10月25日、2024年度の文化勲章の発表があり、文化功労者に草笛光子さん他20名が選ばれました。

文化勲章には、「あしたのジョー」などで知られる漫画家のちばてつや氏他7名が選ばれました。漫画家が選ばれたのは初めて。

叙勲とは、国家や社会に功労のあった人に国が勲章を授けるというものだけあって、学者や芸術家、音楽家やスポーツ振興の分野などから、そうそうたる人物が受けています。

文化勲章は原則として文化功労者の中から選ばれるということで、高倉健さんが2006年に文化功労者、2016年に文化勲章を受けているので、草笛光子さんも文化勲章を受ける可能性があるということになりますね。

草笛光子の現在は?90歳を超えても現役!

草笛光子さんは、現在も間違いなく現役です。

90歳で映画単独初主演となった、「九十歳、何がめでたい」が大ヒットし、シリーズ化の話も出たほど。

2025年1月、この映画で「日本アカデミー賞」優秀主演女優賞を受賞しました。

草笛さんは第45回日本アカデミー賞で特別功労賞と優秀助演女優賞をダブル受賞いたしましたが、
その時ステージ場で「次は主演女優賞で戻ってきま~す」と『九十歳。何がめでたい』の企画のきの字もない時に根拠なく申しておりました。

それが3年後まさかの有言実行!かっこいいッス!!!!

引用:草笛光子+スタッフ インスタグラム – https://www.instagram.com/p/DFF0RPjT_BK/

また、この投稿では、草笛さんが「オリンピックの聖火ランナーをやる」と周囲に言い続けた結果、神奈川県のリレー走者に選ばれたということも紹介されていました。

コロナの影響でリレーは行われなかったが、セレモニーで聖火を繋いだ
引用:介護ポストセブン – https://kaigo-postseven.com/109568

「願いは口に出すことで叶う」という有言実行の草笛さんは、日々のたゆまぬ努力でいくつもの大きな願いをかなえてきたのでしょうね。

さらに2025年4月4日には、映画「アンジーのBARで逢いましょう」が公開されます。

草笛光子さんは91歳となり、国内映画史上最高齢です!

90過ぎてもハイヒールで歩けるのは、やはりこちらもトレーニングの成果なのでしょうか。

週に1度、2時間、パーソナルトレーナーの指導の下、自宅でトレーニングに励んでいるそうです。

そして、気軽にできるステッパー「ナイスデイ」も役にたっているそうです。

ステッパーCMで話題に!

引用:草笛光子+スタッフ インスタグラム – https://www.instagram.com/p/ChZUB1fp2db/

草笛光子さんもご愛用、転びたくなければステッパー「ナイスデイ」!ということで、話題になっています。

自宅でやっていると、友人もかなり興味を示すようです。

最初は数回しかできなくても、だんだんと踏めるようになるということです。

草笛光子さんは、健康ステッパー ナイスデイのホームページにメッセージを寄せています。

「毎日少しづつ続けること。三食食事をするのと同じ感覚でナイスデイを使ってください。ちいさな事の積み重ねが大事です。」

引用:Shop Japan-https://www.shopjapan.co.jp/products/NICE-00000/?

映画「九十歳。何がめでたい」で実妹の冨田恵子と共演

「九十歳。何がめでたい」は、佐藤愛子さんのエッセイの実写映画化で、監督は前田哲さんです。

主演の草笛光子さんが、実在の主人公・作家の佐藤愛子さんを演じました。

数々の文学賞を受賞してきた佐藤愛子が、作家生活を引退して来客もなくなり鬱々と過ごしていたところに、冴えない中年の編集者・橘高がエッセイの依頼を持ち込むところから始まる。「いちいちうるせえ!」と世の中への怒りを赤裸々に書き、ヤケクソ気味に始めた連載は意図せず大反響を呼び、愛子の人生は90歳にして大きく変わっていくのだが…といった内容。

引用:ORICON NEWS-https://www.oricon.co.jp/news/2299986/full/

そしてこの映画で草笛さんは、実の妹の冨田恵子さんと姉妹共演しています。

妹の富田恵子さんと一緒に
引用:草笛光子+スタッフ インスタグラム – https://www.instagram.com/p/DAAfa8xTFgD/?img_index=1

どっちがどっちでしょう?

「何十年ぶりですかね。以前、共演した時には2人とも笑い転げて芝居にならなかったので心配していましたが、今回は無事に撮り終えることができました」

引用:スポーツ報知-https://hochi.news/articles/20240617-OHT1T51186.html?page=1

日本の映画大賞には、日本アカデミー賞やブルーリボン賞や日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞などといったかなり多くの種類があります。

草笛光子さんは、2022年に日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

そして2024年、90歳で映画単独初主演となった「九十歳。何がめでたい」が大ヒットし、同作で日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞しました。

1995年の杉村春子さんの89歳を上回る最高齢受賞となりました。

そして前田監督からシリーズ化の提案がされると、「『百歳。何がめでたい』いいわね。私、できると思う」と意欲を見せたそうです。

本当にできそうな予感。

2025年は新作映画で歴代最高齢ヒロインに!

引用:映画ナタリー-https://natalie.mu/eiga/news/607651

草笛光子さんが主演を務める映画「アンジーのBARで逢いましょう」が、4月4日より全国で公開されます。

いわくつきの物件でBARを開く「謎多きお尋ね者」のアンジー(草笛光子)が、心に刺さる名言を投げかけながら悩み多き町の人々を変えていくさまが描かれます。

監督・松本動さん、脚本・天願大介さん。

共演者は、寺尾聰さん・石田ひかりさん・ディーン・フジオカさん・松田陽子さん・青木紬さん等々、豪華な顔ぶれです。

若手イケメン俳優として話題の田中偉登(たなかたけと)さんも出演します!

そして、「この映画は珍しく肩に力が入らず自然に柔らかく演じることができた」と語る、91歳の草笛光子さんは、国内映画史上最高齢です!

引用:YouTube-https://www.youtube.com/watch?v=aPUaxTAWQ6s

91歳にしてこの素敵な笑顔、、映画も楽しそう!

草笛光子の娘は芥川龍之介の孫!若い頃【画像】結婚した夫はまだ生きてる?【まとめ】

今回のまとめです。

  • 草笛光子は26歳で芥川龍之介の三男・芥川也寸志と結婚するが、1年9か月で離婚し、芥川也寸志は1989年肺癌で死亡
  • 芥川麻実子は芥川也寸志の前妻の娘で芥川龍之介の孫、現在は東京八王子滝山の道の駅の名誉駅長
  • 草笛光子は、若い頃から今もきれい!
  • 草笛光子は再婚せずに女優業に専念し、90を超えても現役、100歳もあり?

いかがでしたでしょうか?

草笛光子さんの女優としての活躍、これからも見ていきたいですね。

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