ザ・トラベルナースでもいぶし銀の演技をしている中井貴一(なかい きいち)さんですが、父親が伝説俳優と言われているのをご存知でしょうか?
中井貴一さんは、映画「連合艦隊」でデビューし、『ミキプルーン』のCMでもお馴染みです。
また1983年の主演ドラマ『ふぞろいの林檎たち』は約15年間にもわたる、4シリーズの長編作品として大人気でした。
中井貴一さんの家族は芸能一家で、父・佐田啓二(さだ けいじ)さんは37歳の若さで亡くなった伝説俳優なのです。
今回は、中井貴一さんの父親の事故死の真相について見ていきたいと思います。
また、父親はどんな人だったのか家族構成についてや、中井貴一さんの結婚相手などについてご紹介していきます。
- 中井貴一の現在までの著名受賞作から代表作を考える!
- 中井貴一の父は事故死37歳の伝説俳優!実家の家族構成は?
- 中井貴一と嫁【妻】吉谷麻友子の馴れ初め
- 中井貴一の若い頃の伊達公子との熱愛報道について
中井貴一の現在までの著名受賞作から代表作を考える!
中井貴一さんは、数々の作品で受賞されています。
1981年東宝映画「連合艦隊」でデビューされ、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したのが始まりです。
1983年5月~1997年7月まで放送された『ふぞろいの林檎たち』で主役を演じ、知名度は作品の大ヒットと共に急上昇しました。
4流大学を舞台に学歴によって、さまざまな困難にぶつかり立ち向かう様子を描いたシリーズ作品だと言われています。
1988年に放送されたNHK大河ドラマ『武田信玄』では主役である武田信玄役を演じ、40%に迫る平均視聴率と歴代2位である49.2%の瞬間最高視聴率を記録です。
かなり高めの視聴率を出していました。
中国映画への出演が、中井貴一さんの転機となります。
引用:ソニー・ピクチャーズ(ヘブン・アンド・アース 天地英雄より。右はヴィッキー・チャオさん)
2003年に、中国で撮影された米中合作「ヘブン・アンド・アース 天地英雄」に出演されており、その後の2006年その時の経験を生かして、全編中国語で臨んだ主演作「鳳凰 わが愛」ではプロデュースも手がけました。
中国映画の現場は衝撃的だったとインタビューで答えています。
それは衝撃的な経験でした。日本では、どんなに過酷な撮影現場でも水道をひねれば水は出るし、生活に必要なものは手に入る。でも、世界に出れば違うんですよ。まともなトイレもなければ、食事もない。映画製作のシステムも違う
引用:スポニチ
その後も数々の大河ドラマに出演され、舞台やドラマ・映画など多数出演され、かなりのベテラン俳優として現在も活動されています。
中井貴一の父は事故死37歳の伝説俳優!実家の家族構成は?
中井貴一さんの家族構成は、父親・母親・姉の4人家族です。
中井貴一さんの父は、俳優の佐田啓二さんで、37歳に事故死しています。
貴一さんは母親から、父親の死因を”運命だった”としか教えられていなかったそうです。
それでは、父・佐田啓二さんや、中井貴一さんの家族について、紹介していきます。
父親はどんな伝説俳優?
中井貴一さんの父親は、佐田啓二さんです。
監督や共演者からは、本名・中井 寛一から「寛ちゃん」と呼ばれていました。
1947年木下恵介監督の『不死鳥』で、大スターである田中絹代さんの相手役に抜擢されラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得。
NHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演を務め、人気を更に加速し1953年に公開された『君の名は』ではトップスターの地位につき伝説の俳優と言われます。
その後の1956年『あなた買います』では、鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得されました。
ダンディ俳優として活躍されており、伝説の俳優として知られています。
父親の事故死について
中井貴一さんの父親である佐田啓二さんは、自動車事故で亡くなられました。
1964年8月13日から家族で信州蓼科高原の別荘に訪れていたのですがある時、NHKドラマ『虹の設計』の収録に参加する事となります。
引用:X
その帰京する途中1964年8月17日午前6時30分頃、山梨県韮崎市韮崎町の塩川橋手前の左カーブで、乗っていた車の運転手が前の車を追い越しましたが、その直後車は横滑りを起こしてしまい、佐田啓二さんが乗っていた席の右側から橋柱に激突。
その後に跳ね返され、追い抜いた車も衝突する
引用:Wiki
かなりの大事故となりました。
この事故で、佐田啓二さんは頭の骨と右腕を骨折と重症を負いすぐに病院に運ばれたのですが、その日の午前11時過ぎ頃に死去が確認されます。
この車には、佐田啓二さんを含め4人が乗っており運転手を含めあとの3人は重症や軽傷を負いました。
2022年12月8日『徹子の部屋』に中井貴一さんが出演した際に、父親の死の真相を明かし運転手の居眠り運転だったと明かしています。
「父が亡くなった時は交通事故だったんですけど、運転をしていてくださった方の居眠りだったんです」
引用:スポニチ
とても悲しい大事故でしたし、まだお若いですね。
ご家族も辛い思いされたのではないでしょうか。
母親について
中井貴一さんの母親は、中井益子さんです。
引用:共同通信(父・佐田啓二さんと母・中井益子さん)
松竹大船撮影所前のレストラン『月ヶ瀬』の看板娘だった事が分かっています。
2016年に87歳で、病気のため亡くなられています。
170cmの身長で殴られたこともありとても怖い方で、親戚の方々もそれを知っていました。
父親の死について母親に理由を聞いた事があったようですが、運命だったと答えられたと『徹子の部屋』で話しています。
「俺がガキの頃に“親父はどうして死んだんだ?”“どういうふうに死んだんだ?”って聞いたんですけど、母は“運命だった”とかし言わなかったんですよね。“これがあなたのお父さんの運命だった!”って」
引用:スポニチ
また、子供の時は運命ってなんだろうと考えていたようですが、母親は子供2人に人を恨むような人にしたくなかったのではないかと気づき母親に感謝していると明かしています。
「子どもながらに“運命ってなんだろう?”って思っていたんですけど、母はたぶん、姉と僕に、人を恨むということを植えつけたくなかったと思うんです。それを運命という言葉で教えてくれたんじゃないかなと思うんです。人を好きだから、俳優をやっているんだと思うので、母のおかげかなと思います」
引用:スポニチ
夫が亡くなってからは女手一つでお子さん2人を育て、大学まで進学させていますので、とても苦労されたのではないでしょうか。
姉の中井貴恵について
中井貴一さんの姉は、女優でエッセイストの中井貴惠さんです。
引用:産経新聞(中井貴惠さん)
1977年、市川崑監督の映画『女王蜂』でデビューされ、その後数々の新人賞を受賞し1982年には『あゝ野麦峠 新緑篇』、『制覇』で第6回日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされます。
以後、映画やテレビドラマ・CMに出演されました。
多忙だったのですか、自分の見つめなおす為に、しばらく女優を休み海外に留学をされ、留学先のサマースクールで今の夫である中沢直樹さんと出会い結婚されています。
1987年に結婚され、夫である中沢直樹さんの勤務先・ニューハンプシャー州の極地工学研究所だったためそこで過ごし、その後北海道で住んでいます。
現在は東京に住まわれており、絵本朗読ボランティア「大人 と子供のための読みきかせの会」の活動や、朗読を楽器演奏にのせて物語世界を紡ぐ「音語り」に力を入れています。
近年は、絵本朗読を行う「大人と子供のための読みきかせの会」の活動を続けている。なお、「大人と子供のための読みきかせの会」は本名の「中沢貴恵子」併記で活動している。
引用:Wiki
中井貴惠さんも芸能界として活動されており、父親も早くに亡くなったので、寂しい思いされたのではないでしょうか。
中井貴一と嫁【妻】吉谷麻友子の馴れ初め
中井貴一さんは一般人と結婚されています。
奥さんは、吉谷麻友子さんという名前です。
一般人なので、顔画像などの詳細は非公開で就職先は外資系に務めています。
奥さんは、中井貴一さんの友人が勤務する会社の同僚で中井貴一さんの誕生日パーティーで初めて顔を合わをしたことがきっかけで交際に発展しました。
2人は、すぐに意気投合し交際がスタートしてから、2年後の2000年9月18日に結婚しています。
中井貴一さんは仕事のスケジュールが多忙だったため、デート時間もあまり取れず、銀行にお金を下ろしに行く時間すらもなかったようです。
そのため結婚の決め手の一つである、デート先が立ち食いそばだったのですが奥さんも美味しいと言ってくれて、『これならやっていけるな』と思ったのがきっかけでした。
「いいところがあるんだけど」って言って誘ったんです。そしたら「うん、いいよ」って。初めてだったみたいですけど「おいしいね」って言って食べてくれたんです。これならやっていけるなって(笑)。
引用:myfavoritetopics.net
金銭的なものだけではなく、価値観も合うなと思ったため結婚されたのでしょう。
とても素敵なエピソードのひとつですよね!
結婚した年齢について
結婚した際、年齢は30歳超えています。
中井貴一さんは結婚当時39歳で、奥さんは結婚当時33歳でした。
引用:オリコンニュース(結婚当時・2000年のミキプルーンのCMより)
結婚記念日は、中井貴一さんの誕生日で39歳の時に結婚されます。
父親である佐田啓二さんが亡くなったときの年齢である37歳を超えるまでは、結婚を考えていなかったようです。
理由は、自分の父親よりも長く生きれるのか不安のため、子供にも自分と同じ思いをさせたくないという理由からでした。
俺は39っていうのが1つの目安だったから、だから俺は39歳までは絶対に結婚しないって決めてた。 だから自分の子供ができて、自分と同じ思いをさせたくないっていう。家族を残したくないっていうのがあったから、それはもう、絶対に自分に課していた。
引用:TOKIOカケル
父親が他界後、とても寂しい思いをされていたのが伝わってきますね。
家族を大切にしたいという気持ちもすごく伝わります。
子供はいるの?
中井貴一さんは、お子さんはいません。
なぜなら、結婚当時の吉谷麻友子さんの年齢が33歳だったため出産リスクを考えての決断だったと考えられています。
また、中井貴一さんは、自分自身親となって子供を教育することのイメージが全くもって湧かない事や、挑戦するのはとても怖いことだと思っていたため子供を作らなかったという理由もあると思います。
子供を育てるということも大変ですが、年齢的にもどうしても出産のリスクがあるため難しいのではないかという決断だったのかもしれませんね。
中井貴一の若い頃の伊達公子との熱愛報道について
中井貴一さんは、現在幸せな結婚生活を過ごしていますが過去の1990年代に熱愛報道がありました。
熱愛報道は、元プロテニスプレイヤーの伊達公子さんとの交際の噂が出ています。
伊達公子さんは、「スポーツ界のプリンセス」として人気絶頂でテニスの試合を観戦する中井貴一さんの姿がたびたび目撃されたことから、交際の噂が出ました。
ですが、公式な発表もなく噂止まりのため本当だったかは定かではありません。
二人の関係について、本人たちが公の場で言及することもありませんでした。
とてもお似合いだと噂されていたようですが、あくまでも噂止まりで終わってしまいます。
とても素敵な話ですが、あくまでも中井貴一さんがスポーツ観戦が好きだったという可能性もありますね!
中井貴一の父は事故死37歳の伝説俳優!実家の家族構成と嫁や子供について【まとめ】
今回は、中井貴一の父は事故死37歳の伝説俳優!実家の家族構成と嫁や子供についてまとめました。
最後のまとめです。
- 中井貴一の父親は佐田啓二で、伝説の俳優と言われており、運転手の居眠り運転で自動車事故が起き亡くなった
- 中井貴一の嫁の吉谷麻友子とは、友人の紹介で知り合い交際し2年後に結婚し、子供はいない
- 1990年代に、元プロテニスプレイヤーの伊達公子さんと熱愛報道が出ていたがあくまでも噂だった
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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